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2021年⑥ 北谷町の与那覇さんのご家族のお話し

【北谷町の与那覇さんのご家族のお話し】

(朗読:仲村美涼アナ)

私が子供の頃、大人は沖縄戦の事を知っていました。沖縄戦の爪痕は日常の中にありました。
戦争について語ることは怒りや悲しみを呼び起こしてしまうので、話題にしませんでした。

父の両頬には鉄砲の弾が当たった跡がありました。片方の頬から反対側の頬に弾が貫通したからです。
父が30代だった頃、少しおどけた話し方で「鼻の真ん中に穴が開いているから、鼻の掃除がしやすいよ」と話していました。幼い私に怖い思いをさせないようにしたのか、
または自分自身の辛い記憶封印したかったのかもしれません。

1945年5月ごろ、父は11歳。7人兄弟の真ん中ででした。
父は三男坊ですが、トートーメーを継ぎました。長男と次男のお兄さんは戦死したからです。
沖縄に残った長男の妻と1歳の娘も、嵐のような砲弾から近くの豪へ避難する途中で、
動かなくなりました。
次男ものちに徴兵され、血や肉、苦しみが飛び交う戦場へ駆り出されました。
まだ15歳でした。どんな顔をして何が好きで、どんな夢を見ていたのか、わかりません。
でも覚えておきたいと思います。私には15歳のおじさんがいたことを。
幼い子供を抱え逃げまどい、銃弾に倒れた女性がいたことを。
恐怖や罪悪感を背負ったまま大人になった人がいたことを。
戦火を一生懸命生き抜いた人たちがいたことを、私は覚えておきたいと思います。
そして、人種も国籍も性別も肩書も年齢も関係なく、
すべての魂が安らかでいることを祈りたいと思います。

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